活眼活学第二節を読んで

 こんばんは~。

 himayomibitoです。

 

 今日は、「活眼活学第二節」を読んだ感想について書きます。

 

 第二節のタイトルは、「人生心得」です。中々重たそうですね(´;ω;`)ウゥゥ

でも読後感は、とても心満たされますし、心得ておきたいことが豊富に書かれておりました。

 

 それでは、私がこれから生きていく上で心得たいことを書きます。

 

①3つの原則「長い目で見る、多面的にみる、根本的に見る」

 この3つの原則の「見る」は、「考える」と読みかえてもいいですね。

 これらは大切なのはわかるが、、中々難しいですよね。著者は、人生における様々な問題に対して、長い目・多面的・根本的に見て議論するか、または区別しながら議論できているか、ものさしを自分の中にもちなさいと言ってます。これは至極もっともで、私は会社で他者と議論すると、よく迷走してしまい本題からずれてしまうことがあります。これは、この原則が身に付いていないということですよね。

 

 また、つい先日議論していると、ある人と議論しても、議論にならないことがありました。なぜだろうと考えると、議題の根本的な原因といいますか、理想としている内容が違ったんですね。それを隠しながら議論しても、議論になりません。まずは、議題の根本的なところをお互いに明るみに出すことが大切だと学びました。

あと、「長い目・多面的に見る」について、私は年齢が上だからというだけで、相手にその力があるとは思いません。これは、経験が豊富で、見識・胆識がある人ならいいですが、表面上の知識で理論武装している人には、ない力だと思います。よく会社にも、声が大きく、自慢ばかりしている人がいて、物知り顔で後輩に教えている姿を見ますが、その助言は合っているんだろうかと、耳で聞きながら思っています。

 

 

 

②「良心の判断を以て事に当たる」

 次の文章、とても心に響きました。

 「世に処していかなることに遭遇しようが(命)、良心の判断(義)を以て当たり、禍福利害のために良心を害うことをしない。良心の判明するところ、進むべく場合は進む。退く場合は退く。命というて自らをごまかさない。(中略)命だなどと逃げ口上を言おうか。

 人生には様々なことが起きるが、その1つ1つに良心をもって事に当たれといいます。また退くときも、これは天の定めなどと、都合のいいように解釈しないということだと思います。この良心、大事ですよね~。最近、本当に良好な人間関係って大切だと思うようになってきました。損得勘定抜きで、好きだから・居心地がいいから一緒にいる友って大切で、そのためには何事も良心をもって当たるのが大切だと思います。

 

また、自分の進む道を選ぶときにお金や地位、利害(富貴利達)を求めず、志に従って進めとあります。富貴利達は、自分の外側の問題であり、求めても得られるか分からない。それよりも志で進むこと、そうして自らを高めることが大切だとあります。どうしても損得で考えがちですが、それはいけませんね。

 

 この本、とても勉強になります。学生には少し読みにくいかもしれませんが、社会人経験のある方には、自己啓発本として読めると思います。

 

ぜひ読んでみてください!!!

数学の計算問題は必要なのか・・・

こんにちは。

himayomibitoです。

 

今日出社している中、面白いニュースがありました。

内容は、ニュース記者が東京の街中で小学生や中学生の子供たちに「宿題終わった?」と進捗状況を聞くというものでした。

 

その中で、ある子はGoogleの「Google Lens」を使っていますと答えました。

私のこのアプリのイメージは、写真で花などを撮影するとその名前を教えてくれるものでした。

 

本当にこのアプリで問題の答えを教えてくれるのか、実際に試してみました。

例えば二次方程式「9x^2=1」をカメラで撮影すると・・・

なんと!!

答えだけではなく、その解き方を4通りも教えてくれたのです!!

ちょっと驚きですよね。

 

 

でも以前Pythonでプログラムをしていて、実際無料でパッケージなどもあり、計算はできるだろうと思っていました。ですが、まさか解法まで教えてくれるとは。

 

 

さてここで、記事の題名「数学の計算問題は必要なのか」と感じたわけです。

正直これと言った答えをすぐには思いつきませんでした。

なのでお風呂になって考えました。

以下の2点で、数学の計算問題は必要だと思います。

 

 

①高度な計算問題は解けなかった

さすがに高度な計算問題は解けませんでした。

例えば、

のような極限は求めることができませんでした。しかし、AIが類推して、解き方が載っていそうなサイトは教えてくれます。そこから先は、人間の判断が必要です。つまり解き方を知っていなければAIが勧めたもののうちどれが正しいか分かりません。

 

②計算方法を推論することに意味がある

①で書いた内容は、高度な計算問題を扱わない人は聞く耳をもってくれないでしょう。また小学生もそうですよね。

私は正直言うと、計算方法をただ暗記することに意味はないと思います。計算方法を推論(帰納や類推、演繹)して編み出していくことに数学という学問の意味があると思います。その見いだしたことを使う練習として、計算問題は必要です。

 

 

私はこういう理由から、計算問題は最小限の範囲で必要だと思います。逆に言うと、意味の分からない、複雑怪奇な計算問題は不要だと考えます。そんなものは、機械に任せればいいんです。計算間違いしませんから。

 

 

AIにはできず、人間ができることを見つけ、その力を伸ばしていく。そういう気持ちが大事で、うまくAIを活用していくことで学習はより深くなるのだと私は思います。

 

 

子どもたちー、数学は計算方法を覚えるだけではだめだぞー!!!!!

 

活眼活学第一節を読んで

 こんにちは。

 himayomibitoです。

 

 今日は、「活眼活学」(安岡正篤著 PHP研究所出版)を読んだ感想を書きます。

 

 まず、この本を読んだ経緯を書かせていただきます。

 

 実はこの本、購入したのではなく頂いた本です。

 小学校1年生から9年間通っていた塾の先生から、辞めるときに「ぜひ読んでみて!!」と頂きました。

 しかし、中学校3年生の私が読むにはかなりハードルが高く、(当時母も難しいと言っていた記憶があります(笑))最初の数ページで断念しました。

 

 もちろん後で読もう、後で読もうと思い、本棚に置いていたのですが、そろそろかな~と思い読み始めた次第です。

 

 

上述したように、以前数ページ読んだことがあったのですが、そのときの印象は「書いてある意味が分からない」というものでした。ですが、今回読むと意味はよく分かります。それはなぜかというと、「この本は、人生で仕事や人間関係など、様々な経験をしないと、書いてある内容を具体的に捉えることができない」ことだと思います。

このように、年月を置いて読める本(本の発酵とでもいいましょうか)があるということに気づかせてもらういい経験ができました。

 

 

 さて今回は、全三節からなる内の、第一節を読みました。

 この本は昭和30年50年にかけて「師と友」に掲載された論講から選んで発刊されています。つまり、約50年ほど前に書かれた本ということです。しかし、物事の本質を突いた内容で、不易な内容だと感じました。

 

 

 この節を読んで、まず共感したのは、「日本人に臍の無い人間が多い」ということです。「臍」とは、誰しもが母の胎内にいたときに栄養を吸収していた臍の緒を切った後にできるもので、それが無い人間はいません。つまり人間は連続した生き物であり、臍は伝統の象徴です。しかし、日本人ほど、伝統を重んじない民族はいないと書かれています。私自身も耳が痛い言葉です。

 

 

 例えばオリンピックの開会式を例にお話しすると、海外と日本の開会式では、やはり海外の方がすごい!!と思いましたし、日本の伝統芸能のすごさはちっとも分かりませんでした。でもそれはそうですよね。自分でこれまで日本の伝統に触れようと努力していないから。しかしそれでは民族性が薄れ、伝統は消えてゆくでしょう。日本人のアイデンティティはどうすれば醸成されるのでしょうか。難しい問題です。

 

 

次に東洋文化西洋文化の違いについて、様々な例を用いて比べており、とてもわかりやすかったです。西洋文化は、「一つのものが限りなく自分を分化し、発言しようとする特徴がある」のに対し、東洋文化は、「複雑な差別を統一して、なるべく内に含蓄しようとする特徴がある」と書かれております。

 

 

例えば服です。西洋文化では「外出用はこれ」「運動用はこれ」というように用途によって分化されます。東洋文化、つまり和服ですが、融通性・統一性をもったものになっています。例えば帯は、礼をするときにみぞおちから折れず姿勢を崩さないために作られています。また和服には花鳥風月など、美も付与されております。

 

 

 また俳句にも東洋文化の特徴がよく表れていると書いてあります。俳句は五七五でその場の情景や心情、季節を伝えるわけですが、これって実はすごいことです。たかが17文字で伝えるんです。

 

 

 例えば松尾芭蕉の、「古池や 蛙飛び込む 水の音」。これだけで情景が思い浮かびます。これを英訳させて日本語訳したものが紹介されています。こうなるそうです。

「さびしい池が幾代か経た静けさの裡に眠っている 離れて、じっと、何の響きも動きもなく、その時、突然その中へ一疋の剽軽な蛙が飛び込んだ」

これでは説明ですよね。65文字です。これをたったの17文字で芭蕉は伝えたんですからすごいですね。このように、説明されずとも句の中に多くのものを内包できる日本の文化はすごいと感じました。

また同時に、「文を読めば理解できる日本人」でありたいと思います。

 

 

 次に大切だと感じたのは、「知識・見識・胆識」です。知識というのは、本を読めば身に付くものです。理論もそうです。しかし理論闘争というものがあり、これは知識では解決できない。そこで「見識」が必要なんです。例えば、一つの問題に対して、色々な人が知識をもって解決策を助言します。しかし、どう判断するかは、自分の体験や人格等が元となります。これを「見識」といいます。さらに物事を実行するには、周りから様々な批判を浴びます。これを断乎として排除し実行する知識・見識を「胆識」といいます。

 

 

 この「胆識」って大切ですよね~。特にこの情報化社会、情報があふれているからこそ、記事を読んだだけで理解した気になるし、自分に都合のいい理屈を作ってしまう。でもそれはいざというときに役に立たない。だから「やってみる」ことが大事だし、その経験が「胆識」になっていく。これはとても大切だし、とてもわかりやすいと思いました。またこれを身に着けるには、「学問」をしなければわからないとあります。

福沢諭吉の「学問のすすめ」も読んでみようかな。。

「文系でも必ずわかる中学数学×Python」を読んでpart2

こんにちは。

himayomibitoです。

 

今日仕事に行くときのバスの中で、「文系でも必ずわかる中学数学×Python」を読み進めることができました~!!

うれしい!(^^)!

がんばった自分を褒めたいです。

さて、今日は直線の方程式を求める章を読みました。

 

 

直線の方程式を求めることができるのは、

①直線の傾きと通る点の座標が1つ分かっているとき

②直線の通る2点の座標が分かっているとき

です。

 

 

 

ここで思ったのは、「私たちが学生のときにたくさん解いた計算問題は何だったのだ!?」です。(笑)

今はどうか知りませんが、10年くらい前は宿題で大量の計算問題をさせられました。

 

 

でも今回本を読んで、複雑な計算でもコンピュータがしてくれるのがよく分かりました。具体的には、

1 連立方程式  2 それを利用して直線の交点を求める

ことはコンピュータがしてくれます。

 

 

じゃあ、計算技能っているのでしょうか?

基本的な計算の手順さえわかっていればいいんじゃないのかなと思います。

だから、可能かわかりませんが、学校のテストでも計算を自動で行うプログラムを組んで持ち込むのはOKとかできないんですかね~

機械ができる計算は、機械にさせていいと思いますが。。。

みなさんはどう思われますか?

 

 

ただし、問題文から方程式を「作る」のは、人間しかできないことも今回わかりました。これは、人間が機械に劣らないところだと思います!!

「文系でも必ずわかる中学数学×Python」を読んで

こんばんは。

himayomibitoです!!

最近とても暑いですね~。

暑すぎて、クーラーのないところではク~ラ~ク~ラ~しますね!!

はい、しょうもないダジャレでした(笑)

(ヨビノリのたくみさんの大ファンで、時々おっしゃるダジャレ大好きです。いつかお会いするのが夢です!!

 

 

今日は、最近読んだ「文系でも必ずわかる中学数学×Python」(谷尻 かおり著)で、これまでもやもやしていた疑問を自分なりに回収できたので、書かせていただきます。

 

 

 

高校数学で、平行移動って学習しますよね。

関数y=f(x)を、x軸方向にa、y軸方向にbだけ平行移動した関数は、

y-b=f(x-a)と表せます。

 

 

ただ私は学生のとき、一次関数の平行移動についてある疑問をもちました。

例えば、一次関数 y=2x と y=2(x-4)です。

 

 

グラフからわかるように、y=2(x-4)は、y=2xをx軸方向に4だけ平行移動したものです。

 

でもこれって、y=2(x-4)は、y=2xをy軸方向にー8だけ平行移動したものと考えてもいいですよね。

ただ、高校の頃の数学の先生に、「普通はx軸方向の平行移動で考えます」と言われました。これがとても引っ掛かりました。なぜなら、y軸方向の平行移動でも考えられるという疑問があったからです。

 

 

しかしPythonでプログラミングをすると、基本的にxを独立変数、yを従属変数として考えます。

つまり、xの値を変化させると、それにともなってyの値が変化します。だから、x軸方向の平行移動で考えないと、上に表したようなグラフを作成するのは面倒だったんです!!

 

 

だから、高校の頃の数学の先生は、あのようにおっしゃったんだ!!と疑問を回収できました。10年以上越しの回収でした(笑)

でも、とても感動しました!!

 

 

学生の頃の学びって、こういう感動を年をとった私に与えてくれるんですね!

「音律と音階の科学」を読んでみて part2

こんにちは。

himayomibitoです。

 

前回も書きましたが、小方 厚著「音律と音階の科学」(BLUE BACKS 出版)を読みました。

読み進めていて、対数の良さを実感したので、記事に書きたいと思います。

 

私は高校で指数・対数について学習しました。

でもそのときは、ただ問題を解いていて、これがなぜ必要なのか(例えば何桁の数ですかみたいな問題を解いていて)実感することはありませんでした。

 

 

 ですが今回、この本を読んでいて、「ここに使えるんだ!」と感じました。

 

 ピタゴラスは1オクターブの中に12音を作るために、ある音の周波数を3倍し、その周波数を半分にして、新しい音を作れます。(「ド」の周波数を1とする)

 

新しい音を作る手順例

 それぞれの音の最後の値をみると、n音目の分子は3^(n-1)となります。なぜなら、2と3は互いに素だから、当然ですね。

 

 

 さて、1オクターブには12音あります。ということは、12音目の周波数の分子は3^11です。この場合、分母は何だろうと考えました。

 分母は2^mで、かつ2^(m-1)<3^11<2^m ・・・① です。

 ①を満たす整数mを見つけたいのですが、3^11の値が大きく、2^mは指数関数的に増加するため、mの値を見つけるのは少し手間です。

 

 ここで、①の各辺に常用対数をとる。そうすると、

 (m-1)log2<11log3<mlog2

となります。

 log2=0.3010,   log3=0.4771 (底は10)なので、

 0.3010(m-1)<5.2481<0.3010m

 各辺を0.3010で割ると、

 m-1<17.4355<m

 よって、m=18です。

 実際、2^18=262144,  3^11=177147で、3^11/2^18=0.6758です。これが、12音目の周波数です。

 

 

 このように、logを使うことで、簡単にmの値がわかりました。

 その理由は、指数関数的な増加を一次関数的な増加に変換できたからです。

 logって使えるんですね。実際に自分で色々やる中で、その良さがわかるってありますよね!!

「音律と音階の科学」を読んでみて

こんにちは。

himayomibitoです。

 

 今回は、小方 厚著「音律と音階の科学」(BLUE BACKS 出版)を読みました。

 本のタイトル通り、音楽と科学(数学)の関係について書かれたものです。

 私自身、音楽というものはてんでダメで、鍵盤のどの白鍵が「ド」かすらわからない人間です。

 ではなぜこの本を選んだのかというと、「科学」という部分に惹かれ、中をめくってみると、数式があり、これなら読めそうだということで選びました。


 この本を読んで、1オクターブの音の種類が12であるのは、ピタゴラスが作った「ピタゴラス音階」を根拠としていると知り、とても驚きました。あの三平方の定理を作ったピタゴラスが、現代まで続く音の種類を作ったのだと、感動しました。

 

 

 また、音の高さは周波数で決まり、周波数を2倍すると、1オクターブ高い音が出るそうです。

 例えば、「ド」の音の周波数が100Hzならば、1オクターブ高い「ド」は200Hzということになります。

 次に、1オクターブの中の12音の作り方は、基準の音の周波数を3倍して、2で割ります。

 例えば、基準の音を「ド」(100Hzとする)とすると、3倍すると300Hzとなる。ですが、この300Hzの音は1オクターブの中に収まっていません。なぜなら、1オクターブ高い「ド」の周波数は200Hzで、それより大きいからです。だから、2で割る、つまり1オクターブ低くする必要があります。

 

 

 つまり周波数を150Hzにするわけです。こうやって新しい音を生み出すことができます。次に新しい音を生み出すには、150Hzを3倍して2回2で割れば(つまり4でわる)いいわけですね。こうやって、ピタゴラスは新しい音を次々と生み出したわけです。

 

 

 また面白いのは、実際に計算すると分かりますが、隣り合う音(例えばドと♯ド、ミとファ)の周波数の差は一定ではないということです。つまり、1オクターブの12音の周波数を小さい順に並べても、等差数列にはなりません。等比数列になるのです。つまり、人間は「差」ではなく、「比」に美しさを感じるのだと著者は言ってます。これを聞いて、私は「黄金比」や「白銀比」、「青銅比」を思い出しました。