方法序説第5部を読んで・・・
おはようございます。himayomibitoです。
今日は仕事が休みのため、朝から本が読めました。幸せです。。。
さて、今日は方法序説第5部を読みました。この部では、デカルトの論文「世界論」の概略や医学(心臓の働き)、そして人間と動物の違いを論理的に説明していました。この内容のうち、人間と動物(機械)の違いについてとても興味をもちました。
先日、私はAI(人工知能)について書かれた本を読みました。その中では、AIはあくまで機械なのだと、意味を読み取ることはできないと書いてありました。人間にはできる、「文やことばから意味を正しく読み取ったり、推論したりすること」がAIにはできないのだと。
デカルトはこの本で、次のように述べています。
「われわれの身体に似ていて、実際上可能なかぎりわれわれの行動を真似る機械があるとしても、だからといってそれが本当の人間ではない、と見分ける極めて確実な2つの手段がある。」
「第一は、これらの機械が、われわれが自分の思考を他人に表明するためにするように、ことばを使うことも、他の記号を組み合わせて使うことも、けっしてできないだろうということだ。」
これって、AIの限界を言ってないかな?と読みながら思いました。AIって相手の気持ちを読んで(読むには、どれだけの情報があっても足りない)、適切な返答ってできないらしいです。
「第二は、(中略)機械は、認識することによって動くのではなく、ただその諸器官の配置によって動くだけである。」
これも、機械と人間の違いですよね。「理性がどんなことに出会っても役立ちうる普遍的な道具であるのに対して、これらの諸器官は個々の行為のために、それぞれ何か個別的な配置をする」ため、人間のように理性を働かせてどんな問題にも立ち向かうことはAIには不可能ですね。だって、AIはあくまで計算機で、それ以上でもそれ以下でもないからです。莫大なデータを与えられても、全く未知のことには対処できません。
この部を読んで、400年前から、機械の本質を見抜いて、これほど的確に弱点を指摘するって凄すぎませんか?読みながら、ぞくぞくとしました。
さあ、次は最終部です。どんなことが書かれているのか、わくわくします。
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